ハーレムについて


1.ハーレムの歴史
2.マンハッタン北部のエリア区分
3.ソウルフード

※写真・文章等の無断転載や引用はご遠慮ください

 

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1.ハーレムの歴史 − HARLEM HISTORY

「ハーレムとは世界中で最も多く活字になり、しかも理解される事の最も少ない社会だ」
〜黒人学・知識人 ジョン・H・クラーク氏

※氏の住んでいたタウンハウスは、私の家から2ブロック先。現在、"John H.Clark Place"と名付けられ、NYCのランドマークに指定されている


1900年代初頭(ハーレムの始まり)
NYハーレムは、もともとはオランダ人のセカンドハウスが多くあったところで、"Harlem"という語源はオランダ語で"楽園"という意味、オランダには綴りは少し違うが"Haarlem"という地名がある。1900年代初めにNYの鉄道が開通し、1904年に地下鉄ブロードウェイラインが開通。これに目をつけた不動産業者が沢山の白人向け高級住宅をハーレムに作ったのだが、せっかく建てられた高級住宅も、第一次世界大戦前の不景気等の影響を受けてその多くが空き家となった。そこへ丁度、奴隷解放後、ノースカロライナ、サウスカロライナ、ジョージア、アラバマ、ルイジアナ、ミシシッピー
など南部から職を求めて沢山の移住者たちが流れてきて、この地区に住み始めた。これを嫌った白人達が懸命に追い出そうとしたが、結局自分たちが追い出され、あっという間に当時6万人といわれる世界最大の黒人の街が誕生することになった。

1910〜40年代(ハーレムルネッサンス)

ニューオーリンズで生まれたデキシーランドジャズは、ミシシッピー河をさかのぼり、メンフィス-ナッシュビル-カンサスシティ-シカゴ等を通りハーレムにたどり着いた。言い換えれば、黒人達の北上と共にJazzもハーレムへやって来た。ここに、世界最大の歓楽街ハーレムが誕生。アポロシアター・コットンクラブ・サボイボールルーム・コニーズイン、スモールパラダイス、ミントンズプレイハウス、ラファイエット劇場等のクラブでは、ルイアームストロング・デュークエリントン・ビリーホリデイ・ダイナワシントン、キャブ・キャロウェイらが活躍。当時はパリと並ぶ美しく、優雅な文化が花開いた。しかし、ハーレムにありながらこれらのクラブは白人世界の社交場であり、黒人は一切入ることは許されなかった。

1941年5月
ミントンズプレイハウスでレコーディングされたジャズの名盤「チャーリークリスチャンのミントンズハウス」でビバップが誕生。やがてミッドタウン52丁目のスウィングジャズ、50〜60年代のヴィレッジのモダンジャズへとジャズの歴史は流れる。

1943年
一方、ハーレムでは黒人人口が増え続け、社会に対する不満が爆発、暴動が各所で起きる。この年、多数の死者を出した暴動によって、白人はハーレムに足を踏み入れなくなる。

1947年
レントコントロールという法律が制定され、家賃を上げることが出来なくなった家主たちが、自ら火を放ち住民を追い出すという事件が多発。ハーレムは焼き跡が目立つすさんだ街へと変貌していく。この頃からハーレムにはイエローキャブが行かなくなってしまった。

1950〜70年代
ロザ・パークスのバスボイコット事件、マルコムX、Dr.マーティン・ルーサー・キングJr.等の台頭により、シビルライトムーブメントが全国的に広がり、黒人の象徴的な街となったハーレムは益々孤立化した。やがて、朝鮮戦争・ベトナム戦争のあおりで職を失った帰還兵達がハーレムに集まり、麻薬・精神病・ストレス等が充満して、ハーレムは益々"恐ろしいところ""危険なところ"というレッテルを貼られるようになる。

2000年〜
クリントン元大統領がオフィスを、元NBA選手マジック・ジョンソンがショッピングモール(ハーレムUSA)を、共に125丁目(Dr,Martin Luther King Jr.BLVD)に作り、今、ハーレムは明るくそして大きく変わりつつある。

※以上、ハーレムについて簡単にまとめてみましたが、これは「Harlem was」であり、過去形のハーレムです。
70〜80年代の過激なハーレムを書いた「ハーレムの熱い日々」(吉田ルイ子氏:著)はすでに今から30年前のこと。
87年には中曽根元総理が黒人とプエルトリカンの知的問題発言。まさにハーレムは理解される事が少ない社会です。
私(トミー富田)は過去20年の間、拳銃で撃たれること2度、ホールドアップは数回ありました。しかし当時のジュリアーニ市長により警官が4万人に増強、拳銃規制が厳しくなり殺人等の凶悪な事件が少なくなったことで治安は良くなりました。とはいえ、麻薬犯罪はいまだ減少していません・・・。

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2.マンハッタン北部のエリア区分 − AREA

ニューヨーク、マンハッタンの110丁目より北が、通称“ハーレム”。行政的な呼び名ではないが、この俗称で世界中に知られている実在する街だ。

「ブラックハーレム」
中でも、110丁目から155丁目までのセントラルハーレムは、約21万人の黒人達が住み、様々な黒人文化、ブラックミュージックが溢れているところで"ブラック・ハーレム"と呼ばれている。この中心地125丁目は、アポロ劇場、ステイトオフィス等が立ち並ぶハーレム一番の賑やかな通り。数年前、55Westにあるビルの14階にクリントン元大統領がオフィスを作り、また元バスケットボール選手のマジック・ジョンソンが125丁目・8番街の角に"ハーレムUSA"という巨大なショッピングモールを作って、より一層華やかに安全になってきている反面、地価が高騰し、急速に再開発が進み、街の姿が日々変化しているところでもある。

「スパニッシュハーレム」
イースト側のハーレムは、96丁目のレキシントンAve.あたりから125丁目近辺までの間で、別名"スパニッシュ・ハーレム"。スペイン語を話す人々(プエルトリコ、キューバ、ハイチ、ドミニカ、カリビアン系の島々から来たかなり貧しい層でレストランやデリの下働き等に従事している人が多い)が住んでいて、街の看板もスペイン語が目立つ。サルサ・メレンゲ等が流れ、独特の活気がある物価の安い街。18年前に、日本のオルケスタ・デラ・ルースが大活躍した。

「モーニングサイドハイツ」
そして西側の地区は、教会や学校の多い文教地区で"ハーレム"とは呼ばれない。110丁目には世界最大のゴシック建築セント・ジョン・デバイン教会がある。作り続けて100年、完成まであと75年はかかると云われているこの教会では、コルトレーンやデューク・エリントンのお葬式、マライア・キャリーのコンサート、キタローとチベット僧の幻想的なコンサート、そして毎年定期的にポール・ウィンターのコンサートも行われている。コロンビア大学やコロンビアの女子校バーナード・カレッジ、ティ−チャーズスクール、マンハッタンスクールオブミュージック、グランド将軍の墓、世界で一番大きな鐘があるリバーサイドチャーチなどもあり、白人の高級住宅地として、ハーレムとは一線を画している。

「ワシントンハイツ」
更に西側を北上すると"シュガーヒル"と呼ばれるハーレムの高級住宅地地区があり、"ワシントンハイツ"に突入する。1786年、アメリカ独立戦争の際、後にアメリカ初代大統領となるジョージ・ワシントンが参謀本部として住んでいた家"モーリスジュメルマンション"が現存するこの地区は"ワシントンハイツ"と呼ばれる。昔はとてもいい住宅地だったが、最近はサントドミンゴ、プエルトリコ等のスパニッシュ系移民(数多くの不法移民を含む)が多く、治安は今ひとつ良くない。しかし、物価は安く、街にはスペイン語が飛び交い、衣、食、、独自の文化を築きつつある面白い地区である。

「インウッド」
マンハッタン最北部辺りは、インウッドと呼ばれるユダヤ人のコミュニティがある。しかしこの辺まで来ると、もう広い意味でも「ハーレム」とは呼ばれなくなる。

※以上が、ハーレムを含むマンハッタン北部のおおまかなエリア区分。ひとつ道路を隔てただけで、人種も趣向も治安も違ってくるエスニックタウンが入り組んで存在しています。どのエリアも異なった活気があり、またどのエリアも私が住んでいる20年の間に随分この足で探索し、この目で変化を見てきた馴染み深い街。恐らくどの日本人より詳しいだろうと自負しています。しかし、アフリカン・アメリカンコミュニティの中でこれまで暮らし、助けられてきた私としては、これからもずっとブラックカルチャー、特に"ハーレム"にこだわり続けて生きたいと願っています・・・。

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3.ソウルフード − SOUL FOOD

ソウルフードといえば、シルビアズ(Sylvia's)が有名で、ここは今年(2006年)の2月3日で80歳になるシルビア・ウッズが45年前に始めた店。もともとは、サウスカロライナのへミングウェイという小さな村の貧しい小作人の娘だったシルビアが、南部の田舎料理をハーレムの小さな店からスタートし現在に至った。
ソウルフードは、昔、黒人の人達が奴隷時代に、ご主人が残したり食べなかったものを工夫して作ったのがルーツといわれている。
とてもポピュラーなソウルフードだが、地方により材料や味付けも微妙に違う。シルビアズは南部の田舎料理でライトで甘辛。ルイジアナ地方は「ケイジャン」と呼ばれる少し辛めの料理。ニューオーリンズ地方は「クレオール」と言われ、フランスの植民地時代にフランス料理と黒人料理が取り入れられたもの。今はとても少なくなったが、クレオールと呼ばれる人々は、フランス人と黒人の混血で、目が緑でとても美しく珍重された。とても料理の美味しいところだったが、昨年のカトリーナハリケーンですっかり昔の面影がなくなってしまった。
マンハッタンにも、45丁目9Ave.にあるジャズベルや、75丁目アムステルダムAve.にあるシャークバー等、白人向けにアレンジされた結構人気のソウルフード店があるが、やはり黒人の味覚とチョット違う感じがする。個人的にはどちらかというと、素朴な黒人好みの店が好きで、ハーレム125丁目Morningside角にあるM&Gダイナーはオススメ。ここで食べるブレックファーストのグリッツと卵料理や、オックステイルとグレイビーのかかったライスは絶品。
最近流行っている116丁目Amy Ruthsのチキンワッフルも有名で、ZAGATの料理本ではシルビアズよりもかなり良い点を取っている。
この他には、110丁目Columbus Ave.のスプーンブレッド2、同じく133丁目Lenox Ave.のスプーンブレッド2(2号店)、151丁目Edgecombのチャーリー等も人気がある。昨年4月に、私の古くからの友人が114丁目8Ave.にオープンしたMelba'sも、早速若いお洒落な黒人達に人気が出てきている。



M&Gダイナー


Text : TommyTomita              Photos : KimikoHarlem


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